素晴らしい日々 (後)

ジャックの証言

 私の名前ですか?ジャックと申します。フォード伯爵ブラッドレイ様にお仕えして、もう随分になります。伯父が先代バリー伯爵様にお仕えしていた関係で、幼いブラッド様の遊び相手として、2つ年下の私がお屋敷に呼ばれたのです。

 ブラッド様の後について、ハンプシャーのお屋敷の庭や森を、泥だらけになってよく駆け回ったものでした。その度に、執事のマクレガーさんや、家政婦さんに怒られたものです。ブラッド様と一緒に、アーサー様に悪戯をしたりもしました。サラ様のお人形を窓から落としたりと、随分悪さをしました。お目玉を食らう時は、いつもふたり一緒でした。

 それ以来のお付き合いですから、旦那様との信頼関係は厚いと自負しています。去年はヨークシャーにもお供しましたし、グレースお嬢様や奥様が巻き込まれたあの怖ろしい事件も、目にしました。旦那様や、旦那様の大切な方々がご無事で、本当に何よりでした。
 あの事件で、旦那様は奥様への想いを深め、確かめられたのでしょうね。

 あの後機を逃さずに奥様にプロポーズされ、結婚特別許可証を手に入れて、すぐに結婚なさいました。それからは、このお屋敷も、グレースお嬢様や奥様、それに旦那様の笑い声で、大変明るくなった気がします。ええ、そうなんです。旦那様はここ数年、難しい顔をしてらっしゃることが多かったのですが、今ではすっかり以前の明るさを取り戻してらっしゃいます。バリー伯爵ご夫妻は、このことを大変喜んでらして、素晴らしい変化をもたらした奥様に感謝してらっしゃいますよ。

 ブラッド様は、本来ご兄妹の中で、一番明るく、よく笑うお方でした。ご長男のアーサー様は真面目な方で、幼い頃からいつも、跡取りとしての責任を第一に考えてらっしゃる方でした。末っ子のサラ様は、唯一のお嬢様ということで皆様から可愛がられ、やはり明るいお子様に成長されましたが、ご両親の事故の後は、これまでのようには笑わなくなりました。臥せったままのお母様に代わり、お小さいながらも、女主人の役割を懸命に引き受けようとなさったのです。

 お兄様と妹君がそうして一足早く大人になってしまわれた後、ブラッド様の笑い声が唯一、お屋敷の中を明るくしてくれました。もちろん、何の考えもなしに笑っていたわけではありません。お兄様と妹君、そして使用人たちが楽になるように、気配りをし、さりげなく手を差し伸べて、ご家族の中でバランスを取ってらっしゃいました。イートン校やケンブリッジに進まれた後も、何くれとなくご家族を気遣い、休みの度に戻ってらっしゃいました。

 祖父の侯爵様も、ご兄妹の中でブラッド様をとりわけ高く買ってらっしゃったそうです。
 そんな若様ですから、社交界シーズンの度に、年頃のお嬢様を持つ奥様方に囲まれてらっしゃいました。アーサー様は既にレディ・レベッカを奥様に迎えてらっしゃいましたから、ブラッド様は格好の婿がねだったわけです。爵位はなくても、ご実家は名門のご一族。いずれは侯爵様から、一族の持つ何らかの称号を譲られるかもしれない。計算高いご婦人は、ブラッド様の気を引こうと躍起になっていました。ひときわ熱心だったのが、グラフトン伯爵とその令嬢のレディ・アイリーンです。今思えば、レディ・アイリーンが奥方にならずによかった。ちょっと気位の高いお方でしたからね。

 ちょうど5、6年ほど前になるでしょうか。その頃の私は、ロンドンのお屋敷務めを命じられ、一時ブラッド様のお側仕えから離れておりました。ロンドンの執事さんについて、家政の実務を学ばせようという侯爵様のお考えだったそうですが、若様と離れたことで、私は大層がっかりしていました。

 その春先、侯爵様はブラッド様の将来について、様々に考えてらっしゃるようでした。ハンプシャーでハウスパーティーに参加していたはずのブラッド様が、突然ロンドンに呼び戻され、仕事のために大陸へ渡るよう命じられたのも、この頃のことでした。この時は特別に私もブラッド様について大陸へ渡ったのですが、若様の気合の入れようは、相当なものでした。何か大切なことを侯爵様と賭けてらっしゃるようだと、他の従僕から聞いたのを覚えています。
 順調に仕事を終え、あとは英国へ帰還するばかりとなったある日、新聞を読んでいた若様の顔色が変わりました。激しく動揺されて、それを辛うじて抑えてらっしゃるのが、よくわかりました。何事かが起きたのでしょうが、若様は頑として仰らず、帰国してロンドンで侯爵様に報告を済ませるなり、急ぎハンプシャーに向かわれました。

 戻ってこられた時には、すっかり別人のように、表情を失ってらっしゃいました。数日書斎に閉じこもり、出てらっしゃった時に、突然、軍隊に入ると宣言されたのです。お屋敷は大騒ぎになりました。アーサー様や侯爵様が説得を試みられましたが、ブラッド様は頑なに拒否し、結局、本当に入隊してしまわれました。

 ロンドンに取り残された私は、ハンプシャーのお屋敷に勤める顔馴染みの従僕仲間から、ブラッド様はお心に決めた方がいらっしゃったようだが、その恋が実らなかったらしいという話をこっそり聞きだしました。若様の評判に関わることですから、本当に無理やり、聞き出したのです。

 それから時間は流れ、ご一族のフォード伯爵様と跡取りの若様が、事故でお亡くなりになりました。侯爵様は直ちにブラッド様を呼び戻すと仰せられ、戻ってこられた若様にフォード伯爵位を継がせることにしました。

 軍隊ですっかり鍛えられた若様は、寡黙で仕事熱心な青年に変貌されていました。社交にあてる時間を全て事業に注ぎこみ、フォード伯爵家だけでなく、ご一族の資産を増やすことに熱心に力を尽くしたのです。働きすぎではないかと、アーサー様ご夫婦が心配されるのも無理はないほどでした。
 もう2度と、社交界には足を向けない。そのように決意されているとお見受けするほど、若いご婦人方が集まる場には、決して足を向けようとしませんでした。

 唯一妥協したのが、去年のシーズンです。美しく成長されたサラ様のデビューでした。是非お兄様と踊りたいと懇願されては、若様――いえ、旦那様も断れるはずがありません。ご友人のウィロビー伯爵様と交代で、妹君のエスコートを務められるはずでした。

 数年ぶりに足を向けた舞踏会で、旦那様は、今の奥様と再会されたのです。

 おふたりの間に、どのようなことがあったのか、詳しいことは存じ上げません。従僕とはいえ、そこまで鼻を突っ込むのはどうかとも思いますしね。私はただ、旦那様が幸せそうに笑ってらっしゃる姿を拝見するだけで嬉しいのです。

 旦那様が、レディ・ソフィアを心から愛してらっしゃるということは、側から見ているだけで十分に伝わってきましたから。グレース嬢が誘拐されたあの晩、拳銃を向ける男に飛びかかっていく旦那様のお姿を見て、私は肝を冷やしました。そんな風に危険を顧みない行動を取るのも、それだけグレース嬢やレディ・ソフィアが大切だからなのでしょう。いえいえ、だからといって、無茶な行動は慎んでいただかなくてはなりませんよ。もちろんきちんと小言は申し上げました。どこまで真面目に聞き入れて下さるかは疑問ですけれどね。

 その後、レディ・ソフィアを助け出す時にも、真っ先に小屋に飛び込んでいかれたと聞いて、私は力が抜けました。この時は、ボウ・ストリートの捕り手が一緒でしたし、ウィロビー伯爵様やミスター・ヒューイットもついてらっしゃいましたから、旦那様が多少の無茶をしても大丈夫だろうとタカを括っていたのですが・・・・・・まさか、捕り手より先に飛び込んでいくなんて。
 大怪我することなく、無事にレディ・ソフィアを救出できて何よりです。

 その後、無事にご夫婦となることもできましたしね。結婚式の時の旦那様の蕩けそうなお顔が、忘れられません。いえ、式の間は真面目なお顔をしてらっしゃいましたよ?その後の――おっと、これ以上は、申し上げられません。

 レディ・ソフィアは素晴らしいレディだということが、今では私にもわかっています。フォード伯爵家はこのような奥方を迎えられて、運がいいとも思っています。グレース嬢も本当にお可愛らしい。旦那様にお仕えするのと同じように、おふたりにも心を込めてお仕えしていますよ。

 奥様たちと一緒にやってきた、アリスと乳母殿にも、早くロンドンでの生活に慣れてもらえればと思います。特にアリスは、浮ついたところのないいい子ですしね。いつもにこにこして、心から楽しそうに奥様のお世話をしているんです。見ているこちらも、楽しくなってしまいます。
 リンズウッド伯爵家と比べて、フォード伯爵家は屋敷の規模が大きいですし、お付き合いの幅も広いですからね。奥様も大変そうですが、そこは旦那様がきちんとフォローしてらっしゃいますから、心配要りません。奥様の侍女に格上げになり、あちこちに出かけることの増えたアリスの方が、苦労が多いと思います。気の毒なほど、戸惑っていますからね。

 私も旦那様の近侍に昇格し、外出にもご一緒することが増えましたから、アリスと顔を合わせる機会も増えました。そういう時は、さりげなく気を配るようにしています。恥ずかしそうに、嬉しそうにお礼を言われると、こちらも嬉しくなりますよ。
 彼女は、手先が本当に器用なんです。この前、私のシャツの袖が、何かに引っかけたらしくほつれていたのを、見つかりましてね。すぐに返すからと言われ、渋々シャツを渡したら、ものの10分もせずに、きちんと繕って返してくれたんです。仕立て屋に出したのかというくらいに、綺麗に整った縫い目でした。ここ数年、旦那様にお仕えすることに夢中で、全然女っ気のない生活を送ってきましたから、感激しましたね。

 ロンドンで名のあるお屋敷に仕えるようなメイドは、プライドが高かったり、厄介な相手が多いんですが、アリスは心根の優しい、いい娘です。名門の旦那様の近侍となると、メイドたちからは花婿候補としてあからさまな目で見られることも多いんですが(他のお屋敷に行ったときもそうなんですよ)、アリスと一緒にいると、気楽でいいですね。品定めなんてしませんし、こちらの言うことを、変に曲げて捉えたりはしません。
 本当に純粋なんですよ。

 朝、旦那様を起こしに行く時に、奥様の身支度をしに行くアリスと一緒になることが多いのですが、そういう時も恥ずかしそうにしているのです。あれは旦那様が悪いんだと思いますけどね。さっさと服を着て下さればいいのに、わざとはだけさせたりして・・・・・・。
 奥様も恥ずかしそうですし、アリスなんてもっと真っ赤になってますよ、熟れた林檎みたいに。恥ずかしがるのをわかってて、わざとやってらっしゃるんです。

 だからお隣からノックして、旦那様を引き剥がすようにするんですけど、私の顔を見ると、ニヤニヤなさるんですよ。
「旦那様も、お人が悪い」
 抗議したって無駄です。楽しそうに、
「お前だって、アリスに教えてあげればいいじゃないか」
なんて仰るんです。い、一緒にしないで下さいよ旦那様!アリスとはそんな関係じゃありません、と抗議したって、やっぱり無駄なのです。それどころか、
「もたもたして、他の男に掻っ攫われないように気をつけるんだぞ」
なんて耳元で仰るんです。全く、旦那様ってば・・・・・・。

 アリスとは、今度ロンドン見物をする約束をしていますからね。焦らず、じっくりといくんです。それでいいんですよ、私たちは。
 え?ですからね、旦那様のことは心配ありませんよ。こんな軽口を叩くほど、毎日が楽しそうでらっしゃるんですから。ええ、これがブラッド様なんです。

2009/10/25up

時のかけら2009 藤 ともみ

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